本日は、すでに2024年2月8日木曜日です。
またもや本Blogを放置しておりました。
まず、例の舌はがしの平井メソッド本ですが、一応読んでみますと言ってくださった某出版社の編集者さんが、「非常に面白い」と言ってくださいました。
随分と書き直し訂正加筆しましたからねえ。
しかし、健康本の構成にはなっていないので、まずこの方法を試みれば、こういう効能があると最初にぶち上げる形式で書き直してくださいというご意見をいただきました。
で、書き直しました。
その原稿ファイルは編集者の方に預かっていただいております。
編集会議だの経ないと、出版していただけるかどうかは、わからないですからね。
私の本ではなく、平井メソッド紹介本ですので、タイトルも健康本であることを全面に押し出します。
まあ、これでダメなら、どうするんですかねえ。
ダメならダメで別の出版社も考えています。
諦めるわけにはいきません。
ああ、ほんとに今は出版業界は厳しいです。
それから、2020年にアイン・ランドの拙訳『水源』の電子ブック化が決まったのですが、あの分量だし、作業は進まなかった。
私は私で本を書くのに忙しかった。
ついでにコロナ危機。
でも、私もつい先日に71歳になりまして。
いつ死ぬかわからない年齢ですよ。
ついでに、2024年から3年間ほどの間に大地震に大津波に、フィリピン沖に隕石墜落とか。
まあ、私なんて神様から粛清されてもしかたない程度の人間だしね。
でもさ、せめて『水源』改訳版電子ブックは残しておきたいわん。
ということで、アイン・ランドの『水源』の拙訳の改訳版電子ブック化が遅れてると、『ビリ婆ル奮闘記—プラチナエイジ慶應金時計』や『春の水は東に流れる』の著者の山田愛子(愛月)さんに愚痴りました。
そうしたら、「もう自費出版したら?私たちの世代って、いつ死ぬかわからないのだし」とご助言をいただいた。
山田愛子さんについては、本Blogにも書きました。
そうだ、そうだ、そうだ!
で、すぐに私は出版社に連絡しました。
「ご事情で電子ブック化できないのならば、私が自費出版で電子ブック化してもいいでしょうか?」と、問い合わせました。
出版社からは「いえ、こちらで出します。出す気あります。第一部だけでも校正してください。ご自宅に送ります」とのご返信。
うん?電子ブックでもゲラ校正は紙?
こうなったら、今年中に電子ブック版で、改訳版を出版していただきます!
すごい分量だぞお。紙媒体で2段組1000ページ越えてる。
山田愛子さんに背中押されて、言ってみて良かったなあ。
愛子さん、ありがとうございます。
そうだ。いつ死ぬかわからないから、どんどん仕事して、電子ブックでいいから出しちゃえ!
でも「平井メソッド」本は紙媒体で出版したい。
紙なら古書で市場に流通して読者が広まる。図書館にも入る。
ところが!ところが!
『水源』改訳版の第一部と第二部の校正ゲラが届いてビックリ。
この校正した方(校閲者?)って、すっごく優秀な方です。
私は、自分の書いた日本語を、こんなにガンガン訂正されたことなかったです。
その訂正が、また納得ができるのです。
電子ブック版改訳版『水源』は、校正者の優秀さのおかげで、いい日本語になるでしょう。
プロの校正者の方かなあ。相当に日本語の知識のある方ですよ。
編集者の方かなあ。
書籍って、日本の出版文化を支えるプロの方々のチェックを経てこそ出せるのですね。
編集者、校正者、校閲者が優秀でなければ、日本の書籍文化は劣化します。
2004年に出版された『水源』は校正もあんまりしてもらえなかった。
プロの校閲なんて受けていなかったと思う。
日本では無名の作家の無名の訳者による小説なんて、相手にされなかった。
出版されたのは、副島隆彦氏が、「この人に訳させて。代わりに、僕が一冊書くから」と言ってくださったからだもんね。
出版社も忙しいからなあ、売れる見込みもない長編小説の仕事なんて、訳文ができても、放置されていた。
出版社の社長さんに直訴して、やっと出版にいたる作業が始まった。
で、2004年7月に出版された。

ほんとうは、もっと時間をかけるべきだったと思う。
あれだけの分量の校正ならば、翻訳と同じくらいの時間を、2年間をかけるべきだったと思う。
大学の仕事がすごく忙しい時期だった。
学会でもいろいろ発表しなきゃいけなかった時期だった。
翻訳も丁寧にはやれていなかった。
誤訳も、勘違いも多かったし、訳文自体の語句も統一が取れていなかった。
それらの悔いを、今回の校正作業で徹底的に改めます。
そして2024年中には、改訳版『水源』の電子ブック版を出版していただきます。
あわよくば、紙媒体の方の改訳版も……
『水源』出版20周年ですよ!
ところで、原文と照らし合わせながらの校正作業ですが、ひょっとしたら……と私が感じたことを書きます。
私は、Ayn Rand(1905-82)のThe Fountainhead(1943) を読んでから、Atlas Shrugged(1957)を読んだのですが、その第一印象は、同一人物が書いたのかな?って思ったんですねえ。
30代の時に書いたものと、40代から50歳にかけて書いたものなら、そりゃ違うに決まっている。
The Fountainheadにあった瑞々しさが、Atlas Shruggedにはないのも、執筆時の年齢のせいでもあるし、テーマが違うから、当然なのだろう。
ひとりの貧しい青年の建築家としての才能が世に認められて行く物語と、腐敗するアメリカの中に、もうひとつのアメリカを作ろうとする人々の物語を、同じに考えちゃいけないと思う。
それに全体として見れば、どちらも、まごうことなくランドの作品だ。
結社的想像力というものは、両作品に共通している。
どちらも、フリーメイソンリー的ゲゼルシャフトの物語だし。
だけど何か、ひっかかる。
で、私なりに考えた。
The FountainheadにあってAtlas Shruggedにないものは、キラキラした清潔なロマンティシズム。
それは、いったいどこから生まれているのか?
それは、当時のゲイの語られざる愛の持つ観念性なのではないか?
だってさ、The Fountainheadに通底しているのは、ロークに恋する男たちの言語化されていない情熱だもの。
物語の中心は、ドミニクとロークの恋愛に見えて、そうじゃないもの。
そもそも、ドミニクって女性というより女装した男みたいだもんな。
やっぱ、アイン・ランドのThe Fountainheadの執筆には、けっこう、彼女の夫の兄の手が入っているな。
ランドの夫には新聞記者をしていた兄がいた。Nick Carter(Harrison O’Connor,1895-1945)と名乗っていた。彼自身が創作もしていた。
ランドの夫のFrank O’Connor(1897-1979)は、ランドより8歳年上で、Nick はランドより11歳年上だった。
ランドの、この義兄は頭のいい人で教養もあった。人柄も良かった。
ランドの夫のフランクの方は、美男の芸術家肌であり、当時の男性には珍しく妻の才能を認めていたけれど、知的に優れているということはなかったが、やはり人柄が良かった。
この兄弟とランドは3人一組で仲が良かった。
1926年に旧ソ連からアメリカに来たランドのヴィザが1929年には切れてしまう。
それ以上アメリカにいると不法滞在になるということで、ニックとフランクの兄弟は、どちらかがランドと結婚するしかないということで、フランクがランドと結婚した。
なぜ弟のフランクだったかというと、兄のニックはゲイだったから。
知的水準とか教養の水準なら、ニックと結婚する方が釣り合いは取れていたけれど。
この義兄は、旧ソ連からの移民のランドの英語を随分と直してくれたんですよ。
ランドは、1926年21歳でアメリカに来たので、英語の語彙は少なく、文章もややこしいのは書けない。
そこんところは、義兄のニックが直してくれた。
でも直したのは英語だけではなかったかもしれない。
ランドが書いた初期の頃の戯曲や短編にせよ、The Fountainheadのようなキラキラ光るようなロマンティシズムはない。
Atlas Shruggedには全くないゲイ風味と瑞々しいロマンティシズムの発する熱は、ランドの若さと、彼女がThe Fountainhead執筆時に使用していたアンフェタミン(覚醒剤、当時は合法)のせいだ!と私は思っていた。
違うな。

The Fountainhead には、実は隠れた共同執筆者がいたんだ。
あの小説のゲイ風味は、ランドの義兄のニックが義妹の小説の中に、英文添削の名目で、忍ばせた隠し味だったんだ。
ランドの愛読者にはゲイって多いんですよ。
ほんと。
リベラリズムの局地ではあるが、リベラルの社会主義志向は皆無な、個人の自由至上主義のリバータリアニズムのバイブル的小説だから、愛は自由だ!ということで、ゲイが愛読したんじゃないですよ。
前にも書いたけど、あの小説に登場する男たちは、みんなロークに恋してる。
そして、ロークとワイナンドの関係はほとんど恋愛関係に近い。
そこんところは、ゲイにはよくわかるんよ。
ランドはゲイって全く理解できない人だった。100%ヘテロセクシュアルだった。
だから義兄の隠し味に気がつかなかったと思う。
ひょっとしたら、義兄が亡くなるまで、ゲイであると知らなかったかもしれない。
そこんとこ可愛い女の子だよね。
ともかく、義兄のニックの無自覚(?)な目論見は成功した。
誰にも知られることなく、彼は清冽で孤独なロマンティシズムを義妹の物語に、こっそりか意図的か無自覚かわからないけれど、吹き込んだ。
義兄のニックは51歳で自殺した。The Fountainhead出版の2年後。
おそらく孤独に疲れたのだと思う。
The Fountainheadは、だからニックの遺作ともなったのだ。
1940年代当時のゲイやレズビアンの恋愛は、地上で実を結ぶ可能性はないものだった。
語られざるものであり、だからこそ心の中で昇華させるしかないものだった。
イギリスでは、同性愛は犯罪だったのだから。
破廉恥な反社会的な変態性犯罪だったのだから。
もし自分がゲイならば、絶対に知られてはいけないことだったのだから。
日本みたいに蔭間茶屋が江戸時代に繁盛していたとか、男色の伝統があったとかいう文化環境じゃなかったんだから。
今のようなLGBTQの人権を守ろう!なんて時代じゃなかったんだから。
語られざる、本人も言語化できない自分の思いは、芸術に昇華するしかない。
若い頃の加山雄三の歌った清潔で夢のようなロマンチックな曲の歌詞は岩谷時子が書いたでしょ。それと同じ。
岩谷時子さんは、レズビアンだったでしょ?
ご本人が認めなくたっていいの。
認める必要なんてないの。
心の中のことを明かす必要はないの。
なんでも喋ればいいってもんじゃないの。
あんなロマンチックな詩は、ヘテロセクシュアルな人間では書けないって。
歌っていた加山雄三は全くそんなこと思いもしないで歌ってきただろうけれども。
ということで、体力がなく、少しずつしか進まない校正作業をしつつ、私は、24年前には気がつかなかったことに、やっと気がついたのであります。
ニックに花束を捧げます。
私が愛する『水源』の底に流れる語られざる愛が発する清冽な情熱とロマンティシズムと、それらが醸し出す豊穣さに乾杯。


わぁ、タブレットで新しいロークに会えるのですね。もうわくわくです、楽しみにしています。先生、くれぐれもどうかゆっくりと急いでくださいますように。(初版の訳文も読みやすかったのに、これまたヴァージョンアップされるとのこと、これもまた楽しみです。「水源2.0」ですね。)
そして「水源」の翻訳出版の経緯に大いに感じ入りました。副島隆彦さん、漢な方なのですね。自分は副島さんの御著書ははるか昔にちくま新書の「英文法の謎を解く」シリーズと講談社α文庫(たぶん)の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」くらいしか拝読していないのですが、御ブログで「世界派遣..」からが藤森先生の今日に至るご活躍が動き出したような気がしてまいりました。
また山田愛さんのご本はいつぞやのご紹介のあとすぐにAmazon経由で取り寄せました。このご本で謎が解けた思いがいたしました。なぜ欧州の媒体が思い出したように「20世紀の文学ベスト100」等の特集を組むその都度、アンネ・フランク(のものとされる)著作は時々ランキングインしているその一方で、日本で訳本が版を重ね、なおかつ天下のNHKサマが取り上げた「夜と霧」はなぜあがってこないのか?
また欧州人の知人らにさりげな~く「夜と霧」のことを話題にだして「え?なんで?日本で話題になってるの?」とポカンとされるのはまだマシな方で、ほとんどは「なにそれ知らない」という反応でした。この些末な、極めて矮小な私的体験に答えをくださったのが山田さんのご本でした。
しかしつくづく本ほど安いモノはありませんね。ほんの数千円で労せずしてこのような御研究をおしえてもらえるのですから。
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Yukari_HKさま
コメントありがとうございます。
そうなんです。副島隆彦氏の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』を読んだからこそ知ったアイン・ランドでした。しょうもない英文科なんかにいては知るはずもないアメリカの実相について、初めて教えられた御本でした。
肝硬変のせいか、前ほど長時間やっていられなくなりましたが、コツコツ校正も進めて行きます。
改訳版電子ブック版『水源』を、よろしくお願いいたします。
山田愛子さんには、このようなコメントをいただいたと、お知らせしておきます。お喜びになると思います!
ありがとうございます。
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あ、ごめんなさい。「山田愛」さんではなく、「山田愛子」さんでした。
このご本は昨年5年ぶりに帰省した際、中学の同級生男子に推しまくりました。
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映画「スノーデン」(オリバーストーン監督)の中でスノーデンが、CIAの面接官に影響を受けた人物を問われて答えた数名の中にアイン・ランドが入ってましたね。
面接官も「肩をすくめるアトラス」を知っていたようだった。そして、忘れ得ぬ日として9.11を挙げていた。
年収20万ドル、恋人を捨ててまで告発するリバタリアンの勇気に震撼させられました。
オバマ大統領は、彼を「ハッカー」と片付けたけど、映画の最後にスノーデン本人が登場して語ったメッセージを忘れてはいけないと思いました。
「スノーデンが、リバタリアンかどうかは分かりません。私の勝手な思い込みです。)
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水谷佳代さま
コメントありがとうございます。
映画の「スノーデン」の面接のところですねーーAtlas Shruggedの中の言葉を面接官が言うんだったと思います。
2017年2月2日に、勤務先を辞める前の最終講義で、アイン・ランドについて話したときに、この映画について言及したことを思い出しました。
トランプさんが大統領に選ばれた後で、トランプ政権のなかに、どれくらいアイン・ランドのファンが多いかも指摘しました。
トランプ自身もランドを読んだって言ってましたが、それはおそらくジョーク。まあ、読んだ気分になったのでしょう。
スノーデンは、リバータリアンと言うより、まっとうに市民の自由ってものの観点から、ぶちまけたと思います。だって、国民の電話盗聴とかメイル盗み読みとか、やっちゃいけないでしう。そんなこと、国防の効果なんてないですよ。全体主義の監視国家を作りたいだけなんだから、極左の民主党は。
スノーデンさんは、今はロシアにいるのかな。無事であるといいのですが。
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