本日は2021年9月5日日曜日。
今日中に、「舌はがし本」の修正書き直しを完成させて、出版社に送りたい。結果はどうなるかわからないのですが。今は何しろ本って売れないからなあ。
「顔と名前をさらすゴーストライター」って、ややこしい立場。テーマの「舌はがし」は自分のアイデアではないけど、著者として名前を出すので内容には責任がある。
他人のアイデアだから関係ないじゃんと言っても、著者は私なので、変な本にはできない。
みなさん、「顔と名前をさらすゴーストライター」は引き受けない方がいいですよ。気楽に書けるようなものじゃないので。
で、今日は忙しいので、 Blogの更新を休もうかと思ったけど、ここまで毎日更新したんだからさ、意地でも書くぞ。別に誰も読んでくれなくても。
さっき、夫が高校時代の友だちとランチ会だとか言って、出かけて行った。
男がランチ会かよ。
フレンチかよ。
老人みたいだな。老人だけど。
でも、帰宅したら「食った気しないから、インスタントラーメン作ろうかな」って言うに決まってる。
ほんとうに美味しい水準の高いイタリアンやフレンチは大満足大充実で、あとでジャンクフード食う気になんて絶対にならない。
でも、テキトーな水準のところだと、食った気しないからね、あとでジャンクフード食べるね。
あの有名なルネサンス絵画のダヴィンチの「最後の晩餐」のメニューって何だったかな?と思ってネット検索したら、いろいろ見つかった。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000161909
まあ、魚料理に丸いパンにワインで、オレンジだったらしい。
2000年前だもんね、十分にご馳走ですね。
その魚料理って、魚は何?
ウナギという説がある。「蒲焼」ってことはないよな。エルサレムにウナギとは。
エルサレムのウナギは、焼いたの、煮たの? オーヴンで蒸し焼き?塩胡椒したの? ガーリック使ったの? 香味野菜は?
とか調べる元気は今日はない。
イスラエルのエルサレムの旧市街には、今でもキリストたちが最後の晩餐をしたっていう部屋のある石造りの家が残っていて、観光客はそこに行く。
部屋はその家の2階か3階にあるんだ。当時の有力者の家の部屋を借りたらしい。
そこの階段が狭くて急傾斜でさ、脚の悪い私は行かなかった。外で待ってた。
石の急な階段でコケて怪我したら、ツアーのみなさんに迷惑がかかるよ。
エルサレム面白いですよ。キリスト教テーマパークよ。
で、よくみんなが考えることだけど、私も考えた。
人生最後の晩餐だとわかっているなら、私は何を食べたいかって。
私は、鮭おにぎりと、梅おにぎりと、紫蘇(ゆかり)おにぎりと、ゆで卵と、名古屋だがね海老フライに、糠漬けのキュウリでいいな。

育ちがわかるメニューです。
おにぎりは、上質な海苔でしっかり全部まいたものでなきゃいけません。

でも、こういう食事に、デザートで蜜柑とか葡萄(デラウエアでいい)とか林檎をつける。そのあとにアイスクリームなら、言うことない。天国だ。食い過ぎだ。
死ぬんだから、もういんだよ、食い過ぎで。
私みたいな人は多いらしくて、「最後の晩餐」に何を食べたいかというアンケートに、お米類と答えた人の数がダントツに多くて第1位。次は焼肉だって。
焼肉……
最後の晩餐に何食べる?人生最後の食事ランキング1位はやっぱり…?
豚カツならわかる。
串カツならわかる。
ハムカツでもいい。
しかし、何よりも、その最後の晩餐を自分で作らないまでも、自分で自力で食べて噛むことができるならば、いいね。それこそ最高。
寝たきりで胃瘻で、チューブで栄養が入っても、なんも楽しくない。
できれば、いっしょに食べてくれる人がいてくれればいいけど、いなくても、おにぎりの美味しさは変わらない。
今日まで食べてこれました、ありがとうございましたって、泣きながらおにぎりを頬張りたい。
ふと思い出した。41年ぶりに思い出した。
1980年に結婚したときに、新居として借りたアパートメントに実家に置かれた私の荷物を運んだ時のこと。
手伝ってくれた夫の友人や、夫の弟や弟の友人に、ランチとして、私は、おにぎりやエビフライやゆで卵とかフルーツがテキトーに詰まったお重を提供した。
その頃の私は、そういうものしか作れなかったから。
そのとき、おにぎりを食べながら、夫の弟の友人が、言ったんだ。
「こういうの、幸せって言うんかな?」って。
すっかり忘れていたけど思い出した。
いろんな人の親切に助けられて生きてきたんだなと、あらためて思う初秋のお昼です。
大学時代のクラブの同期の男性が亡くなったことを知らされて以来、いろいろ思うことが多いです…