本日は、2026年8月29日土曜日です。
いやああ、私はまた8月13日から入院しちゃいましたよ。
理由は6月30日に急遽入院した理由と同じです。
またも、腹水と胸水がちょっと溜まってるってことで、血管や細胞から出ちゃった水分を下腹部に溜めずに排出する点滴を受けてましたよ。
うーむ、配管機能がぶっ壊れやすい住宅みたいなもんか、私の内蔵は。
それは、また別の機会に書くことにします。
今日は読んで、非常に感心した歴史小説について紹介します。
元名古屋大学教授で、日本中世文学と日本女性教育史研究者の榊原千鶴さんの『若江薫子と安達清風』(郁朋社、2026)です。
発売されたばかりです。

薫子は、「かおるこ」とか「くんこ」って読まないでね。「におこ」ね。におこさんね。
歴史小説は好きだけれども、治療中の私にとっては長編を読み切るのはハードだったから、これは241ページだから、楽勝だと思った。
ちょっと読み始めて、私は寝っ転がっていたソファからガバッと起き上がった。
「あ!この小説は、きちんとした姿勢で読まねばならない!」と思った。
全く楽勝ではなかった。
そんなに気楽に読めるものではなかった。
まず文章が優雅にハードボイルドです。
優雅であることとハードボイルドは両立するんだす。
美しい文章ですが、無駄にタラタラしていません。
もう、ギッチリと歴史に関する豊富な知識を背景にしていると、わかります。
そこも凄い。
現代の小説というものは、一種の情報小説です。
作者の分身の主人公がジクジクと個人的悩みを開陳するという私小説は、今はあまり読まれません。
愚痴なんか、Blogで読めるからね。
現代の小説家は、自分が書きたい素材について、研究者のように文献にあたります。
今のような知性劣化時代に読書を習慣としている読者は、騙せません。
舞台に描かれている事象にリアリティや正確さが希薄だと、読みません。
銀行を舞台にした経済小説を読むことで、読者は経済の教科書を読んでもサッと頭に入ってこない金融機関の仕組みを学びます。
総理大臣を主人公にした政治小説によって、読者は内閣や派閥に国会対策、政治家と大手メディアとの馴れ合いなどについて学びます。
SF小説を読んで、まだ実現普及していないけれども、近未来ではあたりまえになるであろう技術について読者は知ります。それがいかに社会システムを変え、個人の生活を変えるかについて、思いを巡らします。
歴史小説を読み、読者は、学校の日本史の教科書には書かれていない日本の歴史を変えてきた事件を知ります。
現代の小説家は研究者でもあるのです。
このBlogで、今までも私は面白い日本の歴史小説を紹介してきました。
たとえば、村木嵐さんの『まいまいつぶろ』とか。
たとえば、垣根涼介さんの『室町無頼』とか。
たとえば、沖方丁さんの『十一人の賊軍』とか。
特に歴史小説家は研究者でもなければなりません。そうならざるをえません。過去の文献は蓄積されておりますから。
古文書が読めないと、漢文がある程度読めないと、日本の歴史小説は書けないのではないでしょうか。
NHK大河ドラマは、本能寺の変とか、関ヶ原の戦いとか、戦国時代の武将についてくりかえし描きます。
幕末から明治の政変に関与した勤王の志士や薩長の企てについて描きます。
だいたいが類型的ですね。ステレオタイプってやつです。
まあ、今どきTVドラマ視聴している人々は、新しい見解を受け入れることができないタイプが多いから、視聴者に合わせて脚本家も書くのかもしれません。
時間はいつでも足りないので脚本家も勉強する時間がないのかもしれません。
榊原千鶴さんの『若江薫子と安達清風』も、また幕末明治を舞台にしていますが、さすが研究者でらしたので、そこで描かれる幕末明治の日本の姿は、凡百の幕末明治本とは一線を画しています。大きな大きな一線です。
榊原千鶴さんの研究者としての知識と蓄積が、『若江薫子と安達清風』に大きく花開いております。
以下は、私が感心したことです。順不同に列挙します。
① 幕末明治を生き抜くために苦心していた薩長土肥以外の藩を描いている
主人公の安達清風(清一郎)さんは、鳥取藩の藩士。
幕末といえば薩摩に長州に土佐に肥後の藩士ばかりが強調されるけれど、幕末の政変にいかに対処するか、各藩主たちは頭を悩ませていたんよ。
藩主にとっては、藩の存続と繁栄が大事であって、勤王なんて、攘夷なんて知らんがな、が本音だったでしょう。
それでも、優秀な若い藩士を江戸や京都に送り、評判の塾に「留学」させて情報収集させてたんよ。
安達さんも、藩命で京や江戸や水戸に留学しています。優秀さが認められていたんでしょうね。
要するに現代風に言えば、安達さんは「情報将校」だったんよ。鳥取藩内別班だわさ。VIVANTね。
これ現代と同じでしょ。
アメリカは見込みのある中学生くらいの少年を中国にホームステイさせ中国語をマスターさせて、中国の情報を収集分析できるスパイを養成したんよ。
語学の才能ある人はスパイになりましょう〜〜
当時の日本には大小合わせて300ぐらいの藩があった。幕末(1865年頃)の実際の数としては約266藩であったとする資料もある。
統廃合や新田分知、微小な旗本領の昇格などを含めると、だいたいが260藩から316藩。
江戸時代全体を通じて存在した藩をすべて合わせると、500藩以上にのぼる。人間世界はいろんなことが起きるからね〜後継者がいなくて、養子もいなければ、お家断絶だわさ。
明治まで生き残っていた藩のほとんどの藩主一家は、明治になって「華族」となった。藩の石高に応じて金も出した。
明治政府は大名家の存続を、そういう形で認めた。
1869年(明治2年)の版籍奉還の際、当時の公卿(公家)と諸侯(大名・藩主)の身分が統合され、「華族」になったんよね。
最初の段階(1869年)で華族に指定されたのは合計427家。そのうち、公家が約140家、旧諸侯(藩主)が約280。
例の舌はがし創設者の平井幸祐氏のご先祖は九州の小さな藩主だったのですが、西南戦争に巻き込まれて、責任を取らされ、藩主は切腹を命じられた。でも、藩主が幼かったので、切腹無理。痛いやん。泣くわ。お家取り潰し。
いろんな藩があったんだよ!藩ごとの運命があったんだよ!

ということで、平井さんのお家は華族になり損ねた。
とはいえ、その遺伝子は平井さんの中で大いに活躍しているようである。
話を戻す。
安達さんの鳥取藩の藩主の異母兄弟は徳川慶喜だったから、当然に華族になった。お家安泰。
ともかく、各藩はそれぞれに幕末を生き抜くために、いろいろ苦心してたわけです。
でも、それらについて描いた歴史小説ってあったっけ?
鳥取藩?そんな藩があったんだ?じゃないですか、普通の反応は。
② 幕末の情報通信方法
当時は郵便も電話も電報もインターネットもないよ。和紙に墨で書いた手紙の文通しか情報伝達法はない。
情報将校たる安達さんが藩主宛の手紙を、民間の飛脚に託すってありえんでしょ。
京都の有名な漢学塾で学んでいた頃は、京の藩邸に手紙を預け、その手紙は、藩邸から藩に定期的に送る書類や進物と共に鳥取藩に運ばれる。
京都から鳥取は比較的近いけど、それでも安達さんの書いた手紙を藩主が読むには、最低2ヶ月はかかったのでは?
安達さんは、江戸の昌平黌(東大の前身やね)にも留学した。その時は江戸の藩邸に手紙を託す。その手紙は、他のレポート(つーか調査書とか江戸藩邸会計簿とか?))とともに、鳥取藩に届けられた。
水戸にも留学してた。そのときは、同じ藩士が江戸に行くときに、江戸の藩邸に手紙預けてもらうように依頼する。あとは、まあ京都と同じプロセスでしょ。
その手紙には、簡潔に状況を書き、無駄なことは書かない。
もし万が一部外者や別の藩の人間が読んでも無難なものにしておく。
行間を読み、状況を推測するのは、藩主とそのブレインのすべきこと。
それができない脳足りん藩主は秘密裏に毒殺して病死に見せかけて、できのいい人間を養子にして藩主にすえる。
もう真剣に早急に知らせるべき極秘重要情報なら、自分が藩に帰るか、他の藩士に鳥取まで行ってもらうしかない。生身の人間が動くんだ。
伝書鳩を飛ばすとか、鷹を飛ばすとか、たまにそういう時代劇を見るけど、アホか。
あのペリー来航とか、安政の大獄とか桜田門外の変とか、各藩が知るのに、何日かかったことか。
情報伝達のプロセスに、いかに多くの人々の労力が注がれたことか。
榊原千鶴さんは、そういう細部に見えて決定的に重要なことに、さりげなく言及する。
当時の生活のリアルが、その記述に立ち上がる。
③幕末の上級武士の具体的仕事のプロトコールのややこしさ
当時の上級武士の仕事内容ってのは、その武士が任じられた役目によって、いろいろだけれども、安達さんも中年になると、留学して人脈広げて議論してるだけではすまなくなり、結婚して子どもを儲け、藩政に参加する立場になる。進物(贈答品)の内容、儀式の進行に必要な人員配置、物品入手、いろいろ気苦労が多い。
情報将校が、省庁の会議の多いシステムに適応して、人間関係や発言に気を遣うようになり、それが仕事になるようなみたいなもの。
それでも、安達さんは上級武士としての教養を持ち、鳥取藩の情報将校として獲得した視野の広さもあったので、晩年にいたるまで、志高く社会的活動をした。
明治の発展って、実は江戸期の上級武士の教養と人格の陶冶(とうや)にかなり依存していた。
島津藩といっても、小松帯刀と大久保利通や山縣有朋を比較してよ。
小松帯刀の清廉さって、やっぱり育ちの良さから来るよね。
そこんとこ考えると、伊藤博文とか長州の下級武士で、英国に留学した長州五のひとりとか言われているけれど、まあ英国の工作員として日本の首相になったんでしょ?って感じだ。
まだまだ闇が深いよ、幕末明治の日本は。
と、「権力者共同謀議はある論」(陰謀論とアホな世間は呼ぶが)に賛同する私は、この時代の闇は現代日本にまで続いていると思う。
が、このことについては、後述しますです。
④歴史に埋もれてきた幕末明治の女性政治言論家の若江薫子の再発掘
日本史研究においては、若江薫子は決して無名ではない。
京都の公家の若江家(華族にはなれなかった)に生まれた薫子さんは、幼い頃より学問の才能に恵まれた。
10代の頃より女学者として京都では知られていた。京では有名な漢学塾である遵古堂(じゅんこどう)でも、その学才は抜群であった。
安達さんは、この有名な漢学塾に留学していたときに、薫子さんと出会った。
で、素直に薫子さんの才能を認めた。
遵古堂の塾頭である岩垣月洲も薫子さんの才能を早々と認めた。
優れた男性は素直である。事実は事実と認める。「女のくせに」と女性を見下し、アンフェアなことするのは、頭も悪く人格下劣で育ちの悪い男だ。
薫子さんも素直。普通に結婚して公家の奥さんになる気などサラサラない。ともかく勉強したいだけ。知識欲だけが旺盛。
安達さんは、京から離れても、いろいろな本の写本をして、薫子に送ってくれた。薫子はそれが何より嬉しかった。
そのうち薫子さんは、公家のトップ5(摂家と呼ばれる)のうちの一条家のお姫様二人の家庭教師となる。当時は家庭教師ではなく、侍読(じどく)と呼ばれた。
しかし、時代は激しく動いていた。攘夷を主張した孝明天皇が急死した。
1867年に大政奉還。王政復古。
1868年元号が明治になって、孝明天皇の祐宮睦仁(そちのみやむつひと)親王が明治天皇に即位。薫子さんの教え子の一条家の二女が皇后に選ばれ、美子(よしこ)皇后となった。
で、薫子さんは、前々から、いろんな観点から朝廷のありようを示すための『杞憂独語』と題した60章にわたる文章を書いていた。
たまたま、自分の教え子が皇后になったから、書いたのではない。
この本は知る人ぞ知るの世界で読まれた。
安達さんも、それを読み、薫子さんの学問の果実に感銘した。
公家の娘ごときが何を偉そーに意見しとんじゃと、政府は思った。岩倉具視なんかはそう思った。
政府は実質は薩長で支配されていて、朝廷は彼らの傀儡であったからね。
それでも、新政府は薫子さんの指針をある程度は受け入れた。
以上のようなことは、そこそこ日本史研究では知られていた。
しかし、西洋化に突き進む日本にとっては、漢学塾出身の公家の娘の書いた朝廷中心の日本のあり方なんて、知らんわであったので、政治言論者若江薫子の言説の多くは、政治に活かされなかった。
当然ね……
『若江薫子と安達清風』は、こういう女傑がいたことを、現代の読者に知らせたのだ。
そういえば、榊原千鶴さんは、歴史に埋もれた稀有な女性たちを現代の読者に知らしめる研究書を、今までにも出版していた。
その2冊を私も読んだことがありまする。
それで、その榊原千鶴さんが小説を書いたということで、『若江薫子と安達清風』を私は読んだのでした。
どんな研究書かって?
たとえば、男尊女卑の明治時代に生きて、女性の可能性を示した女性8人を紹介した『烈女伝』。

私は、この『烈女伝』で紹介されていた8人の烈女の中では、高場乱(たかばおさむ)が好きです。
この女性は、男装の漢学者であり、福岡黒田藩で漢学塾を開き、その弟子のひとりが、かの政治結社「玄洋社」のトップ頭山満でありました。
頭山満は、中村天風さんの師匠で、大アジア主義を唱えて、アジア諸国と日本の連帯を説いた人物ですね〜〜
まあ、この玄洋社は敗戦後にGHQに潰されましたが。
他にも、明治天皇の皇后の実は稀有なる生涯を紹介した『皇后になるということ』という研究書も榊原千鶴さんは上梓なさっておられる。
この本を読んで、私は美子皇后は、明治天皇が好きじゃなかったんだろうなあと、勝手に思った。
少なくとも関心はなかったろうね。
社会的活動への集中度が高過ぎる。
明治天皇の教養が低かったので、話していても退屈だったんじゃないかな。
まあ、明治天皇って本物は暗殺されて、長州の田布施から引っ張ってきた南朝の末裔で、長州の傀儡の大室寅次郎が明治天皇になったんだもんね。
なんて、陰謀論大好きピープルの常識のひとつであるところの「明治天皇すり替え」説について、『皇后になるということ』が示唆しているということは全くないです。
私が読んで、そう勝手に思ったということです。
行間をどう読もうが読者の勝手でしょ〜〜♩♩
まあ、美子皇后みたいに(と決めつける)に、結婚相手が嫌いな女性は多い。
ほとんどの女性にとっては、結婚という制度の枠内にいることで、富と名誉と安寧を手にし続けることがあれば、それでいい。
愛だの、好きだの、嫌いだの、どーでもいいの。
公家のお姫様が、そんな下々のようなこと、気にするかいな。
ましてや、皇后という立場なら、天皇の身の回りのことなんかしなくていいし、儀式の時以外は会う必要もほんとはない。情もわかんわ。
故ダイアナ妃のように、愛がどうたらと言って離婚するのは、破天荒に珍しいことで、かつ中産階級的に貧乏くさいことなのです。
何の話か。

榊原千鶴さんは、『平家物語」の研究者でもあります。すみません。これは未読です。

若江薫子さんの話に戻る。
新政府に物申した皇后の師であった薫子さんは、『杞憂独語』によって知る人ぞ知る世界で、文名を高めた。
しかし、当代一の才女は、京都でもなく、東京でもなく、不遇なままに四国の丸亀で亡くなった。
なぜか?
そこまでの経緯は、小説を読んでね!
薫子さんの自分の信念を曲げない不屈さに驚きます。
どの地でも尊敬された、その知性と誠実さに感じ入ります。
⑤ 日本の漢学者を舐めんなよ
私が、この『若江薫子と安達清風』を読んで、一番に驚いたのは、若き日の薫子さんと安達さんが学んだ京の遵古堂の塾頭?であった岩垣月洲さんの書いた『西征改心篇』についてだった。
この本は漢学者が書いたのだから、全部漢文で書いてあるけれど、読み継がれてきたらしく、河出書房新社の『日本SF精神史』(2009)では、一番最初に言及されている。

下記のBlogでも言及されていましたよ。
https://kakutsuu.hatenablog.com/entry/12272561
原文は国立図書館のアーカイブで読めるらしい。知らんけど。
つまり、薫子さんと安達さんの先生は、日本SFの古典の著者なんですよ〜〜
まあ、『西征改心篇』が、どんな内容かについては、『若江薫子と安達清風』を読んでいただきたい。
漢文で書かれた日本SFの古典を、榊原千鶴さんは、わかりやすく現代語で書いてくださっています。
まあ、簡単に言うと、西洋の「覇道」ではなく、儒学の真髄が中国よりも生きている日本の「王道」よって、帝国主義を廃して、世界平和を試みるって話。
そのために、日本の武将が英国まで行き、英国王室のメンバーたちを逮捕して、覇道をやめさせ、王道を目指すように世界諸国を説得するという話。
覇道というのは、武力や権力、策略によって国や社会を支配・統治すること。
王道っていうのは、仁義や徳、道徳によって人びとを導き、平和に治めること。
2016年の邦画の最後の傑作『シン・ゴジラ』でも、日本の臨時首相になった人が言ってましたねえ。王道で行きたいって。
で、私が何を言いたいかというと、当時の漢学者のうちのほんとうのインテリつーのは、西洋事情にも詳しかったということ。
外国事情について書かれた文献の漢文語版を、ちゃんと読んでいたということ。
それは江戸幕府もそうであり、幕府の上層部や、本当のインテリは、西洋の帝国主義や、ロシアの脅威や、アメリカがいずれ日本近海にやってくると知っていた。
だから海の防備を固めよと主張する言論も出版されていた。
江戸時代を舐めんなよ。
漢学者を舐めんなよ。
ところがですね〜〜薫子さんは、公家のお嬢ちゃんですから、ゴリゴリの尊王であり、攘夷なんですねえ。
外国との交流だの、王道を世界に広める日本だの、薫子さんは師匠の『西征改心篇』に共感できなかった。
まあ、これグローバリズムとナショナリズムの対立が、薫子さんの魂の中で燃え盛っていたのでしょう。
生涯、神国日本の王道について考えていたのでしょう。
覇道に触れるなど、書物でも嫌だったのでしょう。
安達さんには、それがよくわかるのです。
安達さんは鳥取藩の情報将校みたいなものだったので、世界の動きや政局について、いいの悪いの言っても、仕方ないと思う。
現実がそうなら、現実に対処するしかない。
同じ知識人、インテリでも、薫子さんの生き方と安達さんの生き方は別れざるをえない。しかし、ふたりは互いを理解できるのです。
⑥薫子さんと安達さんの純愛の形
紆余曲折あって、京都から離れざるを得なくなった薫子さんは、途中で安達さんを訪問する。25年ぶりの再会。1880年のこと。
薫子さんは、長年、弟子たちに講義してきた『女四書』の注釈書『和解女四書』を脱稿したので、その出版を安達さんに依頼した。
その前に大阪の書院(出版社?版元?)に交渉したけれども、なかなかね……
ゴリゴリの漢文の書の注釈本で、女性向きの本かあ……読者数は限られます。
さらに、明治の支配層の貴族の子女は英語は学んでも漢文は……
そうなると、薫子さんが、自分の原稿を信じて託すことができるのは、安達さんだけだったんだ。
女性ってのは、いざとなれば、どの男性が自分の味方になってくれるか、わかる。
小学生の頃からわかるんですよ。
泥にはまったとか、川に上履き袋を落とした時のような困った時は、その男の子の名前を呼ぶのです。
あ、「女四書」ってのは、女性の心得を説いた4種の教訓書の総称のこと。
『女誡(じょかい)』は、後漢の班昭(はんしょう)著。女性の謙虚さや慎み深さを説く。
『女論語(じょろんご)』は、唐の宋若昭(そうじゃくしょう)著。婦人としての日常の作法や心構えを四字の韻文で表す。
『内訓(ないくん)』は、明の仁孝文皇后(徐皇后)著。宮廷内の女性教育として作られた。
『女範捷録(じょはんしょうろく)は、明の劉氏(王相の母など諸説あり)が女性の模範となる人物を記した書。
これらの書籍を、江戸時代前期に医師・儒学者の辻原元甫(つじはらげんぽ)が和訳・出版したんですね〜〜
それで、日本でも武家や一般の女性の教養・教育書として広く読まれるようになったんですね〜〜
残念ながら、薫子さんが心血注いで注釈し説明した『和解女四書』は、薫子さんが存命中には出版されなかったです。
安達さんは出版社でもなかったしさあ、明治に入ってからは、岡山の津山で産業起こしに多忙だった。もともと優秀な人物で見識も高かったからね〜〜ボケっとしていなかった。
それでも、1883年に安達さんは、若江薫子の『和解女四書』を出版した。
薫子との約束を果たした翌年に安達さんは亡くなった。
こういう硬派な純愛もある。
こういうのって、いいじゃないですか。
私は、馬鹿貧乏ブスシリーズの最初の黄色本で、女性には3人の男性が必要だろうと書いた。
生活のパートナーと、性欲を満たしてくれる人と、知的刺激を与えてくれる人の3人。
まあ全部OKの人をゲットできればいいんだろうけれども、ひとつだけ満たしてくれる人を3人ゲットしてもいいんじゃないの。
まあ、性欲関係は、ほとんどの女性は閉経を迎えたら興味なくなるんで、必要な時期は短いだろう。
若江薫子さんのような女性は、当時の結婚形態に興味なかったし、非常に真面目誠実な女性だったし、当時のことなので、性欲発散相手の男性は要らない。必要なのは、自分の知的才能を対等に認めて接してくれる男性だけだったろう。
そういう男女関係もありだと思う。
⑦純愛物語の顔した政治小説
まあ、この小説の題名だけで、薫子さんと安達さんの恋愛模様が描かれていると思って、読み進んだ読者は、あれれれれ?と思いますですよ。
はああああ?ですよ。
だって、この小説は、作家が意識したにせよ、無自覚だったにせよ、政治小説だもの。
幕末の激動の中をサバイバルする各藩の思惑。
藩の命を受けて、京や江戸や水戸に留学する若い藩士たちの情報収集。
公家たちの間の見えない闘争。
公家育ちといっても、まったくそれらしくもなく、岩倉具視みたいに覇道丸出しの道を行く者たち。
尊王攘夷の風のうち、いつの間にか「攘夷」が抜け落ちて、尊王だけになった奇妙さ。
意外にもあんまり徳川さんは抵抗しなかったので、アッサリ王政復古。
明治維新って、ひょっとして岩倉具視たちと薩長と徳川慶喜の合作?
徳川慶喜って、尊王のメッカ水戸藩の若様だったから、尊王のスローガンに抵抗するはずない。
あくまでも徳川への忠誠を誓って抵抗した会津藩は、逆賊にさせられたぞ。
会津藩の殿様は明治以降も生き延びて悠々自適でしたけど、官軍から虐殺され屍を晒された会津藩士はどーよ。
この殿様も徳川慶喜も、しれっと長生きしましたね。
下々の辛酸に満ちた人生なんて、支配層にはどうでもいいんよね。
なあああんと、横井小楠のように、日本をキリスト教の国にして天皇を廃そうとした明治政府参与まで出現したしね〜〜
その横井小楠を暗殺した十津川の郷士たちを死刑に処する明治政府。
幕末の尊王で始まった明治の参与が、なんで天皇を廃そうと画策するの?
なんでキリスト教国家にならなきゃいけないの、日本が?
おっかしいでしょー
そんなもん、暗殺されるに決まってる。
そういえば、横井小楠は、かの小栗忠順を処刑した人。あんな凄い優秀な人物を、わざわざ明治になってから処刑せんでいいわ!
そのことを、わざわざ榊原千鶴さんは書いている。
私が邪推するに、榊原千鶴さんは、来年のNHK大河ドラマの『逆賊の幕臣』の主人公である小栗忠順を演じる俳優さんのファンなのではないか?
えっと名前なんだっけ。忘れた。
私のいろいろな邪推を蹴飛ばして、あくまでも日本国内の問題として、榊原千鶴さんは、淡々と幕末から明治の政変を記述しています。
私には、その記述の向こうから、西洋帝国主義という覇道にロックオンされた極東の島国の潰されつつある王道の声なき悲鳴が聞こえてしまう。
文明開花というスローガンのもとに、要するにグローバリズムのもとに突き進む日本の王道を見失った迷走は、2026年現在でも続いています。
まさか、漢学者若江薫子と、鳥取藩士であり、のちに岡山の津山で産業振興に務めた安達清風の風変わりで硬派過ぎる純愛物語を読んだ私の読後感が、「日本って、政治的には幕末から本質的に変わっていないんだなあ……」となるとは。
漢字が多いから、読みにくいと思うかもしれないけれども、あーた、漢字とひらがなとカタカナの三表記を当たり前に自由自在に脳内で統合できるからこそ、普通に読書している日本人は、王道を生きることができる真っ当さを保持できるんだぞ。
覇道って脳の病気だから。
西洋帝国主義に触れると、この覇道病に脳が侵されるの。
で、日本も、よせばいいのに、この覇道病に脳が侵されて、半島や中国に手を出してさ。今でも、それで苦労してます。
しかたないわさ。自業自得だわさ。因果応報だわさ。
全ては幕末の闇に始まった。
いや、その素地は戦国時代末期から作られていたのかも。火縄銃に、伴天連に、火薬の輸入に……
まあ、それでも、日本はここまで日本文化を守り生きて来た。
さて、これからが本番かな。
覇道にロックオンされてきた近代日本の惨めさを自覚できる人も増えて来てるし。
そんな闇ばかりの激動の時代を、断固として偏屈に誠実に清洌に生きた若江薫子さんに薔薇を。生八ツ橋と玉露の方がいいかな。
そんな薫子さんの志を理解して、彼女の遺作を世に出した安達清風さんに美味なる馥郁たる清酒を。
そんな二人の人生を教えてくださった『若江薫子と安達清風』の著者、榊原千鶴さんに、フルーツデコレイションケーキを。

まあ、読んでみてください。
日本と日本人って、けっこう凄いな、健気だな、って思います。
日本の歴史小説を読む醍醐味って、そこにあると思うのです。
クズばかりが登場するクソリアリズムのブラック歴史小説もありです。いいです。面白いです。
しかし、時にはホワイト歴史小説を読みつつ、行間の向こうに見える人類の覇道と王道の闘争について思う時間の贅沢さよ。
集中して読むと目がおかしくなるので、休憩にガリガリ君のソーダ味とか梨味を賞味しつつ、私は『若江薫子と安達清風』を読み終えたのでありました。
